人生に恋

ペンドレッド症候群と向き合う日々

口話か、手話か。

聴覚障害を抱える上で、

同じ仲間たちとの交流も増えて行く。

 

その中で、必ずぶつかる議論が、

口話か手話か、どちらがいいのか”

という話題。頭が痛くなる話題。

正直、苦手な議論です。

なにせ、もう白熱するし、

お互いの言い分はわかるけれど、どうも激しくて。苦笑

 

私の場合、

幼稚園に入ってから、中度難聴であることがわかり、

4歳なのに1歳レベルの言語能力で、

全く話せずにいたが、

残された聴力と私の性格から、

普通学校に通うレベルの口話に上達するだろうということで、

ろう学校の幼稚部に転入せず、普通学校に向けて訓練を受けてきました。

 

普通学校に入学し、

小学校、中学校、高校に上がるにつれて、

発音がうまくできないことで悩まされたり、

クラスメート同士の会話にどうしてもついていけず、

見えない疎外感を人一倍感じることもしばし。

もう、悩みの種どころか、悩みの森状態。笑

 

そんなこともあったけれど、

いま、こうして、人並みに、

いや、普通の人よりもベラベラ話せるようになってしまいました。笑

 

手話は、時折、母が覚えさせる機会を小学生のときから設けさせてくれるものの、

なかなかハマらず、高校の時になって初めて手話の世界に飛び込む。

 

手と表情だけで編み出される表現は本当に魅力的で、

聞こえない言葉ではなく、見える言葉ということにすごく感動して、

22歳くらいまで、手話の世界にのめり込んでました。

 

口話の世界、手話の世界、

それぞれ経験して、

それぞれの世界の人とたくさん交流してきて感じたのは、

なにも、

どっちが正しい、

どっちが良い、

と決めつける必要性はないんだってこと。

 

その人の聴力、

その人の性格、

その人の環境によって、

その時によって、

手話や口話どちらが良いかは大きく左右されるわけで。

 

幼いうちに、

あなたは手話だけでいい。

あなたは口話だけでいい。

と焦って決める必要はない。

 

今までにも何度かブログで発信してきたように、

一番大事なのは、

手話でもなく、口話でもなく、

「日本語」を覚えていくこと。

「日本語」を知っていくこと。

 

上手に発音できなくてもいい、

「語彙力」がないより、

「語彙力」があったほうが、断然有利です。

障害あるなしに関係なく。

 

健常者でも、

語彙力がある人と、ない人で、

かなり差がでますよね。

 

語彙力がないことで、

自分の想いを円滑に伝えることができず、

誤解が生じて、溝が生まれたりすることも多々。

 

コミニュケーションに求められるのは、

社交性よりも、語彙力だったりします。

あと、「気遣い」「配慮」「観察力」

語彙力があることで、

自分の感情や想いを相手に伝えやすくなり、

自分の中で不完全燃焼してしまうことが軽減される。

 

だからこそ、

手話のみでいくか、口話でいくか、

それらに捉われるずに、

根気よく絵本を読ませたり、

本に触れる機会をたくさん作ったり、

お手伝いをたくさんさせてあげてほしい。

と、強く思う。

 

お手伝いをさせることで、

チーム連携や阿吽の呼吸を自然と身につけることができ、

相手がいまこうしているから、

自分はいまこうしようと予測しやすくなる。

 

手話も口話も完璧を求めずに、

それぞれをその子に合わせて、

両方使えるようになれるのが一番いいんじゃないかなぁって思ったり。

 

 

久しぶりに、ついつい語ってしまいました。