伝えること。
友人から依頼を受けて、
近日、病気や障害を抱える高校生たちに、
病気を持ちながらも前向きに生きること&フィルム写真について
総合学習でお話しさせていただくことになりました。
高校生ということで、
自分の高校時代、どうだったかな、、、
と懐かしく思い出しながら、
昔の闘病ブログをみたりしながら、授業の準備。
高校生って、
健康な高校生でさえ、
漠然とした不安を抱えているわけで、
さらに、自分の病気や障害が重なると、
身近にいないがゆえに、
なんともいえない不安が強くあったり。
自分は社会で生きていけるんだろうか、
病気はどうなるんだろうかとか、いろいろ。
私自身も、
人並みに働ける日がくるんだろうか、、
身体は元気になるんだろうか、、、
そんな不安ばかり募ってました。
そんな中でも、
なんとか乗り切れたのは、
やはり、好きなものがあったことが大きいかも。
もちろん、家族や友人たちの支えも本当に本当に絶大で。
伝えたいことがありすぎて、
楽しみで仕方がありません。笑
とにかく、、
「好きなことをもつ」
「いろんなことに興味をもつ」
そして、
いずれ、それらが想像しない形で繋がっていくことを、
伝えられたらいいなぁ。
時には、優しい武器になる。
障害をもつ子の家族や親が思う気持ちは、万国共通なんだなとしみじみ。
障害があるからいじめられるのでは?
障害があるから差別を受けるのでは?
家族から離れた場所で社会に出ても嫌な思いをするだけでは?
学生時代に始めた闘病ブログや病気のサイトを通して、いろんな相談を受けたり、いろんな声を聞く機会が多くなり、上記のような言葉はよく目にします。
最近では、海外に友人ができたことから、その友人の友人がわたしのブログやサイトを知り、Google翻訳で調べながらみてくれたりして、そこから英語や中国語だけのメールがきたり。
どうしたらポジティブな子に育つんだろうか
どうしたらビクビクしないで社会に行けるだろうか
どうしたらいじめられずにすむんだろうか
変な話、
社会で傷つかずに生きてく方法ってない。
障害や病気の有無関係なく。
障害や病気を抱えていると、
「差別」「心無い言葉」は、避けては通れないもの。
どうしても付いてきてしまう。でも、それは毎日ではない。24時間ずっとではない。
だからといって、
その言葉たちから傷付かない為に守る必要はないと思う。
経験してこそ、わかる痛みや、わかる術がある。
知らなかった自分に出会えることだってある。
経験してみないと、わからないことがたくさんある。
もし、無知で心無い言葉を浴びて、辛くなったら逃げればいい。逃げることは恥でも負けでもない。
いつでも逃げられる場所を提供してあげればいい。
ただただ守るよりも、経験して傷ついて、逃げたほうが価値があると思う。
わたしも、家族という居場所や、ハンディを抱えるもの同士の集まりに何度も何度も逃げさせていただきました。笑
世の中には色んな人がいる。
色んな人に出会って、色んな生き方があるんだってことを感じて欲しい。
時には、障害が優しい形で想像以上の武器になることだってある。
健常者が手に入れることができない大切なことを手にできることだってある。
必ずしも、常に、障害や病気、ハンディが「マイナス」になるわけではない。
あー、もっと英語頑張ろう。これらを英語にできない歯がゆさ。笑
もっと勉強して、スムーズに相談できるようになろう。
HP作成、頑張ろう。
大きな優しさ
先日、不思議なご縁で、仕事を紹介していただき、面接へ。
面接では、派遣会社の社長、そして派遣先の責任者の2名。
わたしの転職まみれの履歴書をじっとみるなり、
「君は本当に努力の人だ。とてつもない努力をしてきた人だ。耳のことでマイナスになることがないから大丈夫。あなたの人となりで分かるから。」
とのお言葉が。危うく号泣しかける。
わたしに関する情報が履歴書だけにも関わらず、
こんな風に温かい言葉をかけてくださる人がいることに、ただただ胸がいっぱいになる。
障害者のひとりではなく、
ひとりの人間として、
まっすぐ向き合ってくださったことに、
感謝の気持ちでいっぱいです。
ちゃんと前を向いていたら、
どんなことも前向きな姿勢でいたら、
どこかで大きな優しさに巡り会えるんだなとしみじみ。
勉強。
高校時代以来ぶりに、英和辞典を引っ張り出す。
いろんな思い出が溢れ出す。
学生時代、授業を受けることさえままならない状況だったため、
授業に出席することだけに命がけ。
授業も満足に受けられず、毎日強烈な発作に見舞われるため、
予習も復習も勉強もできず、、ただただ病との闘い。
クラスメートの辞典が使い込まれているのをみると、
自分の新品同様な辞典が恥ずかしくて仕方なかったっけ。
もう二度と英語勉強したくないとおもってから、10年。
(聴覚障害者にとって、英語の授業は音楽の授業と同じくらい屈辱的でした笑)
気がついたら、海外の友人に恵まれ、
彼らと話したいという気持ちから、英和辞典と教科書に触れていることに、
不思議な気持ちになる。
そして、嬉しくなる。
ああ、勉強できるくらい、元気になってきたんだなって。
どう巡り巡ってくるのかわからないものだね。本当に。
終戦。
終戦日。
色々思うことがたくさん。
父方の祖父は、戦時中北朝鮮で生まれ育つ。軍人一家だったため戦後いろんな苦労をする。軍人だった曾祖父は終戦後数年経ってから変わり果てた姿で戻って来る。亡くなる直前まで、毎日のように真夜中に突然泣き叫んで、「ころしてくれーなぜ、俺を殺さなかったんだ。死ななかったんだ」「部下たちの命を奪ってしまった。わたしが死ぬべきだった」と声を押し殺していた。
父方の祖母は、東京渋谷で生まれ育ち、東京大空襲にあう。渋谷、表参道などで何日も焼け焦げた遺体を目にしながら、避難中にはぐれた曾祖父を探したが見つからず、、、。降り注ぐ炎の雨とB29の飛行音をいまでも忘れることができないという。B29のパイロットの顔がみえるくらい近距離だったとか。。
母方の亡くなった祖父は、兵隊さん。でも、結核になり、離隊。しかし、所属していた隊は戦地に赴き、みんな戦死。自分だけ戦地に赴けず戦死しなかったことをずっとずっと罪の意識に苛まれる。戦争について一切口に出さず、ただ、「あの戦争は間違っていた」それだけつぶやいていた。
母方の祖母は、満州で生まれ育つ。戦後、すべてを投げ捨て、命からがらで帰国。日本へ向かう途中、沢山の人が自死したり病死したり、家族と離れ離れになる人を目の当たりにする。「大地の子をみると、胸が痛くなる」と震えながら涙を流す。
幸い、祖父母たちが実際に経験した戦争について話してくれていたから、知ることができた。
また、台湾で一人旅をした際、日本語を話す台湾人の高齢者と関わる機会がたくさんあり、その方々から、「戦時中の台湾」での話を聞いたり。。
旅行で知り合った海外の友人たちから祖父母から受け継いだ戦時中の話を聞くこともできたり、、、。
どの話も、胸が苦しくなる話。
まだまだ知らないことがあるんだなと、反省させられる。
いろんな人の計り知れない苦労のおかげで、いまがある。
いまを大事に生きよう。
黙祷。。
障害は、個性ではなく、特徴ではなく、あなたのもの。
ここ数年、
一人旅をしていく中で、
海外の方とお友達になる機会が一気に増えてきました。
そのたびに、
自分の聴覚障害のことを伝えるのですが、
彼らから返ってくる言葉に、いつも吃驚させられます。笑
「That's so funny!」
「Really?It's very fresh!!」
「Wow!very intersting!」
わたしが聴覚障害があることを知ると、
必ず、すごい笑顔で、この言葉たちと一緒に返ってくる。
日本じゃ考えられない反応。もう、ありえん。笑
でも、彼らのおかげで、
自分の中での価値観が一気に変わりました。
ある海外の友人に、
「日本ではそういう反応はされない。気を遣われることが多い。なぜ、そのように言えるの?」
と質問してみたら、
「あなたが聞こえないこと、補聴器をつけていること、聴覚障害があることは、個性でも特徴でもない。あなた自身だもの。耳が悪いことも全部含めて、あなただもの。それに、障害のある日本人と友達になるのは初めてだから、新鮮!嬉しい!」
「だって、あなたは笑顔。ずっと笑ってるでしょう。聞こえる人よりも幸せそうじゃないか。」
と満面の笑顔で言われる。笑笑
すべては自分次第で、自分の考え方次第なんだってことに気づかされる。
今までは、
どちらかというと、「障害」は「特徴」と捉えていました。
でも、そうではない。わたしの一部。
だから、
「障害」そのものに意識せずに、
自分の一部だからこそ、
自分らしく、明るく笑って生きればいいのだ。
わかるわけない。
”あなたにわかるわけない”
という言葉、
とても冷たくとても悲しい言葉だとおもう。
なぜなら、自分から離れていこうとする言葉だから。
いろんな人生、いろんな苦労、いろんな生き方がある。
その人にしかわからない辛さ、悲しさ、涙、戸惑いもある。
みんな、お互い様。
お互いにわからなくて当然。
どんなに幸せそうに見える人でも、
もしかしたら、とてつもない孤独を味わってきた人かもしれない。
「わかるわけない。」
相手に言ってしまったら、
とてつもなく大きな壁ができるだけ。
自分の過去を知ってもらう、わかってもらうのではなく、
お互いにいろんな経験を踏まえて、
いろんなものをみてきてできた「いま」=「集大成」で、
向き合って関わっていったほうが希望がみえてくるんじゃないんだろうか。
幻ではない。
体調を崩し、
持病の関係で、
安静期間に入ってから一ヶ月半。
これまでの出来事は夢だったんだろうか、
幻だったんだろうか、
と、ふと思う。
必死に掴み取った当たり前も、
必死に乗り切ってきた仕事の日々も、
全部全部夢だったんじゃないかと。
正直言うと、
悔しくてたまらない。
神さまのバカやろう
って叫びたくなる。
でも、、
当たり前の日々を切り取った写真をみて、
夢ではなかった。
とホッとする。恋しくなる。
紛れもない事実が写真に残ってることに幸せを覚える。