遺す。
写真は、昨日の山登りのときの。
嫌々ながらも、私のストレス発散にお供してくれるさくらさんには感謝。
-
-
- -
-
今日は、東京大空襲の日。
そして、写真の中でしか見たことの無い曾祖父の命日。
祖父母が13歳のときの出来事。
あの日に何があったのか、
あの日どんな景色だったのか、
すべてが燃えて、
川にたくさんの人が逃げ惑って、
いくつもの焦げた遺体を目にしたこと、
B29の音がどれくらい恐ろしいことか、
いろんなことを祖父母から聞いているけれど、
どんなに私が聞いても、
どんなに映画や資料で空襲について触れても、
祖父母が目にしたものは、
私の想像を遥かに超えて、
想像を絶するものなんだろう。
現に、いま想像しても十分すぎるくらい恐ろしいのに、
それを遥かに上回る恐ろしさを経験していても、
胸の奥にしまわずに、私たちに語り継いでくれる祖父母を心から尊敬します。
もっともっと知らなきゃ。もっともっと話を聞こう。
-
-
- -
-
日々、震災の報道が増えてくにつれて、
何かを“遺す”ことができることの凄さを痛感させられる。
好きなものを、好きな人を、
好きな景色を、好きな空を、
当たり前に何かに遺せること、
写真に遺せること、
絵に遺せること、
物に遺して存在することが、
如何に大切で如何に凄いことなのかを、
改めて、考えさせられる。
簡単に遺すことはできても、
遺したものを守り持ち続けることは、
当たり前のようで奇跡に近いんだなと。
だからこそ、
それらの当たり前の“遺す”という行為を、
本当に大事にしていかないとなぁ。
いまの自分にできることは本当に無力に近いけれども、
精一杯精一杯働いて、
精一杯精一杯笑って、
精一杯精一杯大事にして、
前を向いて生活しよう。
いま自分の傍に存在するものたちを大事にしつつ、
ある日、突然天国に行っても、
後悔しないくらいの気持ちで、
毎日を笑っていこう。うん。
それが、いまの自分にできること。
なにがなんだか…
4,5年は持つことないだろうと思っていたiPhoneが、
ひょんなとこから、私の手元に。
もう訳がわかりません。
1時間以上かけてようやくできたアドレス移行も、
30分後には変なところを押してアドレス帳パーになったり。
アドレス帳移行するのに必要なIDとパスワードがわからなくなって、
そこからまた30分以上もiPhoneとにらめっこしたり・・・。
普通の携帯と料金の仕組みが違うみたいなので、
恐ろしくてネットもあまり使わず、、、
あまりのややこしさに画面をみることもなく・・・笑
時代はスマートフォンかぁ。
10年後にはどんな携帯電話が現れて来るのやら。
写真は、iPhoneのアプリで撮影したものー。
さくら可愛すぎるぜ!
いろいろ。
気付いたら、もう今年も終わり。
今迄とはひと味違う一年間でした。
先ずは、体力が本当に付いてきたこと。
これは、デカイ!!!
(もちろん、周りに比べたらまだまだだけど。笑)
出逢いもあり、別れもあり、、、。
たくさんの人に支えられ支えられ続けて、
毎日、“幸せダーーーーー!”って呟き続けた一年間。
そして、どの一瞬一瞬も、
笑ったことも、悩んだことも、
考えたことも、泣いたことも、
自分の身にもなり、自信も付き、
“自分”というものに対して一層向き合えた気がする。
病気や障害に対する向き合い方も新たに変わって、
ますます、“社会”=”きこえる世界“が好きになれました。
年明けから逃げるように前の仕事を辞めて、(苦笑)
逃げるように東京に居候して、
初めての一人旅で愛知に行き、
いろんな人に逢うことができて、
札幌に戻っても、
いろんな出来事が待ってて、
かわいいかわいい従妹が居候しにきたり、
東京じじばばと過ごす時間も増えたり、
なんとか仕事も決まって、
刺激と共に一気に過ぎていったなぁー・・・笑
2010年とは違うのは、
2011年という一年間の日々を本当に楽しめたこと。
“人に逢う”時間も多くて、
それまでと違って更に新たな絆も強まって、
気楽に逢える仲間も増えて、本当に楽しかった。
2010年のときは、
もう慌ただしく振り返る余裕もなく2011年を迎えてたもん。笑
写真、カメラから離れて、
改めて気付けたことも沢山あって本当に良かった。
写真を趣味としてるとね、
ファインダー越しにしか世界が見えなくなりがちなのよねぇ。笑
来年からは、嗜む程度に写真を楽しもうと思います。
さて、、本当に、
今年一年間、ありがとうございました。
最後に、ミミ子、ありがとう。
生きることの凄さ、
痛みを感じられまいと懸命に最後まで耐えたパワー、
心の奥がぎゅーーーって締め付けられるくらい、
いろんなことを感じさせられては気付かされました。
ありがとう、ごめんね、ミミ子。