去年くらいから
聴力や育った環境
アイデンティティに関係なく
いろんな聴覚障害者から相談を受けることが相次ぐ。
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聴者との交流なんてなくていい
手話だけでいい
ろうの世界だけでいい
と思っていたけれど
親しくなりたい聴者ができた
思うように交流ができない
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地域の学校を経て
聴者の世界で生きてきたけれど
同じ境遇の仲間がいない
仕事での悩み事や情報が欲しい
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障害者雇用で入社したけれど
障害者で固められて
聴者と関わる機会がない
コミュニケーションする機会がなく
対等に話せる場面が少ない
本領を発揮させてもらえる環境ではない
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ろうの世界・手話の世界に入れば
聞こえない仲間として共感できるとおもったけれど
手話がちゃんとできないと仲間じゃないと
言われてしまった
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ずっとろう学校だったけれど
社会に出てから
聴者とのコミュニケーションがうまくいかない
聴者との関わり方なんて教えてもらわなかった
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聴者の世界と
ろうの世界は
常識やルールが異なるなんて
知らなかった
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声なんていらないとおもっていたけれど
発音できるようになりたい
どうしたら聴者との交流ができるの?
手話関係なく友達になりたい
相談できる人がいない
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正社員で働いてきたけれど
聴力低下してコミュニケーションが思うようにいかなくなった
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耳についての伝え方をわからない
どうしたら聴者からの理解を得やすいの?
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SNSで似た境遇の仲間が欲しいと思っても
マルチ絡みか宗教が絡んでないか警戒しちゃって
なかなか声を掛けられない
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悩みを聞くたびに
ハッとさせられたり
懐かしくなったり
考えさせられることばかり。
聴者の世界も
ろうの世界も
どちらも深く関わったことがあり
どちらにも大好きな友人たちがいて
私自身も
聞こえづらい時期と
全く聞こえない時期を両方経験してきてるので
痛いくらいにわかる。
これらの問題の根底にあるのは
《大人になるまで、片方だけの世界しか知らない》
《社会に出る上での耳の伝え方、聴者との関わり方を知らない》
《聴覚障害があることをオープンにしてこなかった》
聴者の文化やルール
ろうの文化やルールとは同じようで全然違ったりする。
それぞれの世界にいる人が
違う世界に行った時に
カルチャーショック受ける人もいれば
こっちのほうが生きやすい!と思える人もいる。
こういう言い方をすると怒られるかもしれないけれど
聴者の中で生きる難聴者って
在日外国人2世の境遇と似てると思うんです。
なぜなら
彼らの悩みや話を聞いていて
とても似ていると感じて、とても共感できたから。
ふとしたときに
自分のアイデンティティがどこにあるんだろう
って悩むときがくる。
でも、それは一時かもしれないし
ずっと悩む人もいる。
自分と同じ仲間がどこかにいるんじゃないかと
ネットで探しても探しても、悲観的な話ばかり。
そりゃ、そうだ。
社会に溶け込んでいる人は
満たされているし、情報発信する必要性がないもの。
話せる相手がいない人たちが吐き出せる場所が、「ネット」なので、どうしても悲観的な情報で溢れかえってしまう。良くも悪くも。
ネットの中にあるのが、すべての人に該当すると思ったら違う。そこだけは気をつけて欲しい。
自分なりに工夫して妥協して
前向きに乗り切ってる聴覚障害者もたくさんたくさんいる。
表舞台になかなか出て来ないだけ。
昨今
日本手話教育か
日本語教育かという議論が長く長く繰り広げられているけれど
両方大切。
両方大事な言語。
どちらかに決める必要はないと思うんです。
その教育が、果たして本人に必ずしも合うか合わないかはわからないから。
どちらが正解とかはない。
いろんな生き方がある。
いろんな生きやすさがある。
健聴、難聴、ろうとか
カテゴリーに当てはめがちだけれど
障害の有無以前に
ひとりの人間。同じ人間。
カテゴリにこだわらず
聞こえづらい私はどうせ溶け込めないと諦めずに
同じ人間だものという気持ちで
色んな人と関わってほしいと心から思う。
大人になってから生じる聞こえないがゆえの悩みって相談できる場所や前向きな情報交換できる場所がないよなーと改めて気付かされる。
若いろう者にとっての居場所は確立されてるけれど、聴者の世界で生きる若い聴覚障害者のための居場所がなかなか活きてないよなと痛感。
来年は札幌メインで会場を借りて、情報交換の場を作ろうと思ってます。
もう、宣言する!笑
※あえて、わかりやすくするために、ろうの世界(手話の世界)、聴者の世界(一般社会)と表記してます。ご了承下さい。
#hami耳