かわいそう。は、呪いの言葉。
障害者は、かわいそう。
そんな言葉を幼い頃から身近に感じてきた。
母をはじめ家族や親戚は
「かわいそう」という概念が1mmもなく
「かわいそう」と思われることなく
普通に当たり前に育てられてきた聴覚障害者のわたし。
家を一歩出ると
「あの子、補聴器つけてる。かわいそう」
子供向けのイベントに母と参加すると
「聞こえないのかわいそうだね」
と、同じ年であろう子供に言われたり。
子供の頃は、大人からも子供からもよく言われていた記憶がある。
大人になると
たまーに
「あなた聞こえないのね、かわいそうに。」
「聞こえづらいから、かわいそうな人生だったんじゃない?」
と言われることも。
子供の頃は、
「え?私はみんなと違うの?」
と戸惑ったり、自分はかわいそうな人間なんだろうかとぐるぐる。
でも、大人になると、それらの言葉に対する免疫がでてきて、
「かわいそうは、あなたの思い込み」と思えるように。
ごくたまに、聞こえないだけだと、ちょろっと反論してみたり。
「かわいそう。」って、呪いの言葉のようなものだとおもう。
かわいそう。とおもえば、かわいそうな人間になる。
かわいそう。と言われると、自信がなくなる。
かわいそう。と言われて、救われる人はいるんだろうか。
かわいそう。は、失礼な言葉でもあったりする。
どうせならば、
かわいそう。ではなく、
いろいろ大変だけど、頑張ってるんだねー!
って言ってくれた方が、ずっとずっと救われる。
かわいそう。というフィルターを外して、
その人自身を見つめてほしい。
障害以外は、なんら変わりのない1人の人間。
そんなことを、
ドラマsilentの最終話をみて思い出しました。