遺す。

写真は、昨日の山登りのときの。
嫌々ながらも、私のストレス発散にお供してくれるさくらさんには感謝。

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今日は、東京大空襲の日。
そして、写真の中でしか見たことの無い曾祖父の命日。

祖父母が13歳のときの出来事。

あの日に何があったのか、
あの日どんな景色だったのか、
すべてが燃えて、
川にたくさんの人が逃げ惑って、
いくつもの焦げた遺体を目にしたこと、
B29の音がどれくらい恐ろしいことか、
いろんなことを祖父母から聞いているけれど、
どんなに私が聞いても、
どんなに映画や資料で空襲について触れても、
祖父母が目にしたものは、
私の想像を遥かに超えて、
想像を絶するものなんだろう。

現に、いま想像しても十分すぎるくらい恐ろしいのに、
それを遥かに上回る恐ろしさを経験していても、
胸の奥にしまわずに、私たちに語り継いでくれる祖父母を心から尊敬します。

もっともっと知らなきゃ。もっともっと話を聞こう。

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日々、震災の報道が増えてくにつれて、
何かを“遺す”ことができることの凄さを痛感させられる。

好きなものを、好きな人を、
好きな景色を、好きな空を、
当たり前に何かに遺せること、
写真に遺せること、
絵に遺せること、
物に遺して存在することが、
如何に大切で如何に凄いことなのかを、
改めて、考えさせられる。


簡単に遺すことはできても、
遺したものを守り持ち続けることは、
当たり前のようで奇跡に近いんだなと。

だからこそ、
それらの当たり前の“遺す”という行為を、
本当に大事にしていかないとなぁ。


いまの自分にできることは本当に無力に近いけれども、
精一杯精一杯働いて、
精一杯精一杯笑って、
精一杯精一杯大事にして、
前を向いて生活しよう。

いま自分の傍に存在するものたちを大事にしつつ、
ある日、突然天国に行っても、
後悔しないくらいの気持ちで、
毎日を笑っていこう。うん。

それが、いまの自分にできること。